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11 商業高校で学んだこと
私は高校の英語の教員であるが、29年間の教師生活のうち合計10年間は商業高校で過ごしている。 最初の商業
高校に勤務した頃は、4年制大学への進学がまだ難しかった。 伝統あるその高校からの就職は地元を中心に大きな
基盤を持ち安定していた。 ソロバンはもうほとんど使用されていなかったが、職員室の隣に珠算部の部室があり、その
影響力が大きかったことを偲ぶことができた。 パソコンも勿論導入されていて、職員室や教室にエアコンが入っていない
時代に、パソコン室だけは空調管理されていた。 野球部が最初であり、全てであるかのような学校だった。 学校と野球
部、敗戦と野球部などを考えさせられた。 2人目の子供の育児休暇をいただいた時期でもあり、センター対策で補講漬け
の普通高校より生きやすい面もあった。 2校目の商業高校では、ビジネスイングリッシュという学校設定科目を一から
作っていった。 一教員が勝手にそんなことをできるわけはなく、学校長の命令に従ったまでだ。 公立高校の管理職は
回転が早く、何事もなく無事に終われば良しとする人も多いが、在任中に何か一つ新しことをと積極的に成し遂げたいとい
う人もいて、私はたまたまそういう後者の校長先生に出会い、命令を受けた。 真面目な私は、その命令を真に受けて
英語科の他の先生方の反対の中、何とか形を作り上げた。 詳しく知りたい方はは、この章の最後に以前まとめたものを
付け加えておくので読んでいただきたい。
その学校の当時の特徴は、 「デパート」 という商業科目の総まとめのような実践の場を持っていたことだろう。
生徒と教員全員が株主となり、地元の企業を中心に契約を結び、生徒と教員がその企業の商品を研究して実際に、年に
1回の「デパート」という場で、販売の経験をするのである。 企業研究から、商品研究、経理管理、販売技術、接客マナ
など様々な角度で学習し、売上という利潤追求を目指す。 私はアルバイトの経験はあっても、 商品を販売することを
深く考えたことなどなかったので、これはとても目新しく、社会を知る良い機会となった。
色々な思い出があるが、その中でも忘れられないのは、私が担当していた「衣料品」店舗の契約会社の社長様の
人となりである。 デパート当日、「黄色い靴下から色落ちがあり、足が黄色くなった。」とクレームが入った。 ちょうど
居合わせた社長様は自ら菓子折りを持って、代替品と返金の両方を用意して、出かけて行かれた。 そのあとの反省会で
クレーム対応は迅速に丁寧にが鉄則であると語られる姿に非常に感銘を受けた。 不況の中で、生き残っていく企業の
あり方を学んだように思う。
靴下の話が出たが、特売目玉の靴下に生徒と値札を張り付け(ピストルというもので打ちつけ)、かごに山と積み、
宣伝広告を流し、来客を期待する。 そして期待通りに、それ以上に商品が売れていく。 山だった靴下が、ざーと崩れ落
ちるように売れていくのを見ることは、商売の面白さを垣間見たような気分になった。
これを読んでいるあなたは、どんな商品を販売しようとしているのでしょうか。 どんなサービスを売ろうとしているのでし
ょうか。 それを購入するお客様の顔がしっかり見えているでしょうか。 商業高校に10年勤務した私は、わかいビジネス
マンの皆さんが頑張っておられることを心から期待しています。