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9  少子高齢化社会の中で

  これを書いている2013年3月24日(日)は、義理の父の老人施設入所に準備が忙しい最中である。 26日に入所するこ

とが決まっている。 中学の教員だった義父はとても真面目で実直で、信頼される人物だった。  母は3人の子供を育て

ながら内助の功で、パートを次々こなし、自分たちの家を建て、子供たちを大学まで出し、年金で生活していけるはずだっ

た。 ところが、戦中はの義父は男子厨房に入らずの精神が強く、決して家事をしなかった。 それが大きな誤算を生んだ

。 指先を使わず、完璧主義な義父を待っていたものは、老化というだれしもが避けて通ることのできない道と、脳の退化

という恐ろしい現実だった。 悲しい言葉だが、「ボケ」てしまったのである。 終の棲家であると信じていた家を出る日が

2日後に迫っている。 それをあまり感じることができない義父を診るにつけ、人は必ず老いるのだと痛感する。 

  今これを読んでいる皆さんは、おいくつだろうか。 皆さんの労働により生まれる税金の中に、る人の受け取る年金や

介護にまつわるサービス料も含まれているはずだ。 私は若い時、自分の支払っている税金は、将来の自分のためと誤

解していた。 今目の前にある問題にその税金が使われていると知った時、ある意味愕然とした。 そのころから、少子化

の波が日本を襲っていた。 自分が年老いた時に、税金を払ってくれる若者の数は随分減少しているのではないだろうか

と危惧した。 男女平等と言っても学校の中でさえ危うい日本の状況を考えると、女性の社会進出により結婚年齢も上がり、
初産の年齢も上がり、子供の数は減るばかりであろう。 その上、先進医療が身近なものとなり、簡単には命を落とすこ

とはできなくなった。 おかしな言い方だが、死にたくても死ねないという本音、死んでほしいが死なないという叫びが現実な

のである。 その結果、税収入は減り、 税金を使う人口が増え続けるという矛盾が生じている。

  みなさん一人で何人の老人をさせているだろうか。 それだけでも、みなさんは貴重な存在である。 そういう視点を

持って欲しいと思う。 自分がかけがえのない存在であることに気が付いてほしいと思う。 頭の良さや、偏差値の高さなん

て関係はない。 まじめに働いて、正規社員として税金を支払っているだけでもうそれはそれは立派なことであり、この

社会に大いに貢献しているのである。 

  願わくば、 自分の人生を豊かにできるパートナーを見つけ、次代を担う子供たちを生み育てることができたらと思う。

閉そく感を覚える社会であるかもしれないが、それを変えていけるのも若い皆さんの生き方であるし、その次の世代の子

供たちの存在である。

  私は老い支度を始めている。 「ふと見れば 鏡に映る 老女なり」 と句を詠んだ。 どんなに準備をしても死は突然や

ってくるかもしれない。 日々丁寧に、身の回りの整理をして、生きていきたいと思う。