高校生に勧めたい本
読書の秋です。 高校、大学、大学院時代と夢中になって読みました。 アメリカ留学時代は、「明日までに
1冊読んで、レポート5枚以上」というのが当たり前で、必死で「英語」と格闘しました。 私がとても印象に残っている本と作家を紹介します。 作家としては、大好きな 「落合恵子」氏を紹介します。
「さらば悲しみの性」 河野 美代子 (ネット感想より)
お子さんが、異性に興味を持ち出したり、おしゃれに気を遣うようになったら、是非読ませて下さい。高校生の性とありますが、今では、高校生では遅すぎる子も多いです。性について教えるタイミングを見つけ、正しい情報を教えるのは、親の義務です。
【付き合う=セックス】と考えている子が多く、間違った情報が反乱している中、あまりにも無知でセックスしてしまう子が多すぎます。
こ の本の中で、性の関係は男女平等ではなく、大原則は、「女性は、自分のからだを! 男性は、女性のからだを!」なのに、現実は、「男性は自分のからだ(欲望)を!
女性は男性のからだ(欲望)を!」という逆立ちした考えがまかり通っている。とあります。まさにその通りだと思います。 著者はしきりに、女の子にもっと賢くなるようにと訴えていますが、親がきちんと話をして、正しい情報を与えなければ賢くなれません。
この本は、女の子だけでなく、ぜひ、男の子にも読ませていただきたいです。童貞であることが、恥のように感じている子も多いと思いますが、本当に優しいから、童貞なんだ!と胸を張っていえる男の子が増えていって欲しいです。
「塩狩峠」 三浦綾子 (ネット感想より)
「塩狩峠」は、牽引車からはずれた客車を止めるために命を捨てた鉄道職員の物語でした。「塩狩峠」を読み終えて、エピソードが持つ説得力というものを感じました。
「塩狩峠」は、主人公の成長にそってストーリーが進む小説です。主人公は、子どものころからあたたかい人間たちに囲まれて成長します。大人にな り、キリスト者となりました。物語は、主人公が30歳を過ぎたときに終わります。主人公が結納を交わすために汽車で札幌に向かう場面でした。汽車が峠にさ しかかりました。主人公が乗り合わせた客車がはずれます。レールの上を逆走しました。主人公は、命を捨てて、客車を止めました。
「氷点」 三浦綾子 ウィキペディアより
『氷点』(ひょうてん)は、クリスチャン作家三浦綾子の小説。『朝日新聞』朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、続編の『続氷点』が1970年5月12日から1971年5月10日まで連載された。
1963年に朝日新聞社が、 大阪本社創刊85年、東京本社創刊75周年を記念する事業として懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1千万円であり、募集要 領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった。連載終了直後の1966年に テレビドラマ化および映画化され、以降繰り返し映像化されている。
継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている。
物語の舞台となった旭川市の外国樹種見本林には、三浦綾子記念文学館があり、本作の資料も数多く展示されている。
「ザ レイプ」 落合恵子
性被害に合った女性が、それを告発することで、 職場や恋人に去られ、世間の偏見に苦しむという、セカンドレイプ
に合っていく、男性社会の中での女性の立場を静かに熱く告発した本。 映画化もされ、警察の性被害担当に女性が
導入される大きなきっかけとなった。
作家紹介
落合恵子 ウィキペディアより
落合 恵子(おちあい けいこ、1945年1月15日 -
)は、作家・元文化放送アナウンサー。
栃木県宇都宮市出身。実父の矢野登は参院議員(自民党)。母はその愛人であり、私生児として[1]母子家庭で育つ。異母弟に参院議員の矢野哲朗がいる。
明治大学文学部英文学科卒業後、1967年、文化放送にアナウンサーとして入社(同期にみのもんたなど)。TBSテレビ採用試験に不合格となったみのを、文化放送に誘ったのは落合である。「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲」や「セイ!ヤング」のパーソナリティを担当。特に「セイ!ヤング」では、リスナーから「レモンちゃん」の愛称で親しまれ、歌手としてもデビュー。同番組のパーソナリティは、作家に転身した後も1978年まで務めた。1971年には「こんばんは、落合恵子です」がスタート(1975年まで)し、ゆったりと静かに語りかけるその話術と優しさで、幅広い年齢層に人気を博す。
30歳を前にした1974年退社、作家活動に入り、1976年に児童書籍専門店「クレヨンハウス」を開く。その経営のほか、近年はフェミニストとしての視点から女性や子供の問題についての評論・講演活動や週刊金曜日の編集委員を務めている。その傍ら、1986年 - 1990年には文化放送で、日曜夜に女性だけのスタッフによる硬派生情報番組である、「ちょっと待ってMONDAY」のパーソナリティを担当。 また、2005年からはTBSラジオ日曜日の早朝番組「おはようございます 落合恵子です」で、15年ぶりにラジオ番組のパーソナリティに復帰した。
明治大学文学部在学中は英語部(ESS)に所属。この時の同窓に原田大二郎および井崎脩五郎がいる。井崎は出演中のラジオ番組の中で、「落合先輩からRとLの発音が甘いと注意された」と回顧談を披露していた。
反戦運動・反核運動・原子力撤廃集会に参加するなどいわゆる左翼的活動家として知られる。小坂英二はツイッター上で「反日左翼」とラベリングして批判した。(反日とするからには、根拠を示すべきである。)