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「高校教師として今訴えたいこと」
        2013年9月16日(日)

 長年、高校で英語教師をしている。多くの先生方や生徒さん達に支えられてきた。結婚、二人の子の出産と育児休暇も経てきた。定年を数年後に控え、訴えたいことがある。

 まず、入試の仕組みである。中学生は学校だけでなく塾へ通い、志望校を決めることが多いと聞いている。その某有名塾の社長様が我々高校教師に講演をして下さった。学校長の計画だ。教員採用試験に不合格で創った塾が好評で、大企業へと発展された。彼は次のように明言された。「塾へやりたいと思っている母親の知能指数は、小学校四年生レベル。そのレベルが喜ぶことをやれば人は集まる。」

私たち女性教員は怒った。が、それがもし真実ならば、中学生が哀れだと思う。高い授業料を払う保護者の方々にこの言葉をどうしても届けたい。その中学生が受験する入試の監督をし、面接をし、採点をし、選抜会議に出席し、合否が決まるのを目の当たりにする。合格発表の日に大喜びしている生徒の横で、黙って足早に立ち去る子や、涙する子をずっと見てきた。十五歳の何をどうやって測る入試なのか。そうして選抜された生徒は入学して、直ぐに某企業の模擬試験を受験する生活が始まる。普通高校では特に顕著である。年間行事に組み込まれており、生活の一部となっている。もちろん、日々の生活では、授業が第一だし、部活動が活発な生徒も多い。定期テストで学校での学習を評価するのも当然である。しかし、学校の中だけでは、多くの生徒や保護者が希望するいわゆる「有名大学」に合格可能かどうかはわからない。今の文部科学省の指導のもとの教育だけでは、志望大学を絞ることができない。若い高校の先生方の中には、まるでそれが当然で、塾や予備校なしでは学校教育は成立しないと考えている人も多い。「おかしくはないのか。」声を大にして何度も叫んできた。進路室や教室の偏差値ランキング表を見るたびに、ため息が出る。文部科学省が大学を序列化しているのではない。一企業が、保護者から受験料を取り、できるだけ多くの高校生に受験させ、それを分母として、最も点数の取れた子を偏差値約七十、ほとんど白紙の子を偏差値約三十とする。平均であれば偏差値約五十だ。文部科学省でもない、一企業が、日本の多くの生徒の入学直後から、入試直前前までのテスト結果という極めて繊細な個人情報を握っている。その膨大な資料を基に、どの偏差値の生徒がどの大学を志望し、合格したかにより各大学学部に偏差値がつけられている。私は生徒によく言う。「あの偏差値表の一番下の大学は、馬鹿が行くのか。あそこを創った人や働いている人は馬鹿か。」沈黙が流れる。「そんなことない。それぞれの大学が一生懸命教育活動を行っているはずだ。」生徒の顔に安堵感が現れる。三年の夏を過ぎた生徒には、「もう偏差値はあまり上がらないから、状況判断して勉強したい学部で自分が行ける大学を選び、過去問をやって受験しなさい。そして、合格したらその大学に誇りを持ち、与えられた環境で精いっぱい努力をして、就職を考えて日々を送りなさい。」などと力説する。生徒の中には、「先生、いい話でした。」と言ってくる子までいる。私は自分が留学しているし、我が子も留学したので、他の国の教育制度を研修する機会が多かった。塾、一発勝負の受験は欧米やオセアニアには見られない。偏差値で「自分は馬鹿だ」と自己否定してしまう生徒を救いたいと思う。それは一つの物差しにすぎないのだと。人間はそんなに簡単に評価できるものではないと。

 次の二つはどちらも企業と既得権保持と保護者の負担に関わることである。「制服」と「修学旅行」の値段の異常な高さを訴えたい。

入試に合格した生徒さんは学校指定の業者で採寸し、制服を作る。吊るしの服で十分事足りる時代にオーダーメイドである。お値段も高い。入学後、スカートをくるくる巻いている生徒を叱り、折りじわにアイロンをかける指導をする。しかし、「体が大きくなるから、大きめに作っておきましょう。もう一回作るのは大変」と業者の方に言われ、保護者も納得し、ダブッとした制服を嫌々着ているという子もいる。現在は、おしゃれに敏感で、ユニクロの洋服が一世風靡している。どうしてユニクロは制服に参入しないのか。きっと、縛りや既得権保持があるに違いない。それは不況の中で生活する人々の見方ではない。

 最後は、「修学旅行」の値段の高さである。県で決めた規定額がある。しかし、沖縄を例に挙げると、新聞で安いツアーが満載である。その二倍あるいは三倍もかかる修学旅行はどれだけの付加価値があるのか。団体でキャンセルなしツアーは本当はお安く提供できるのではないのか。ここでも、業者間の申し合わせや、各業種の繋がり、既得権の保持が見えてくる。不況であえぐ社会に誰も見方してくれない。

 教員生活三十年目に心から訴えたい.。